私がGINGER FACTORYを作った理由、それは10年近く前にさかのぼります。
その頃私は東京丸の内の広告代理店でサラリーマンをしていました。
大学卒業後、熊本から上京し、新入社員として入社して以来
地元熊本を強く愛するあまり、故郷である熊本の仕事をずっとしたかったですが、
もちろん、そんな願いはすぐにかなうはずも無く
私は、理想と現実の狭間に揺れる日々を過ごしていました。
しかしそんなある日、ひょんな事から
自分の出身地、熊本県上天草市の観光用パンフレット制作に携わる事になります。本当に心震えました。
すごく嬉しかったし、気合いも入ったのですが、そこで衝撃の事実を知ことになります。
市のパンフレットということで、自分の生まれた町の事も調査するのですが、
その時父親がこういったのです。
「この町は人口7000人。毎年100人の老人が死に、生まれてくる子は5人だ」
頭を殴られた様な衝撃でした。
私は中学卒業後、家を出て、下宿先で高校生活を送りました。
それ以来15年程地元を離れていたのですが、
その間に自分の生まれた町は急激に過疎化が進んでいたのです。
バブル絶頂期、地方が一番潤っていた時期には同級生も100人近くいたし、
子供ながらに町の活気を感じていました。
しかし、今は。。。。。。
「自分の生まれたこの町は、あと何年もつのだろう」
本当にこのままではダメだと思いました。
それから、いろんな本を読みあさり、いろんな人と話をした結果
私はこんな結論に至りました。
「町に産業が出来れば昔の様に活気に満ちるはず」
「地方が活性化するには第一次産業が活性化すればいい」
そして、地方が活性化する為の企画を考え、
方々を行脚するが、全く箸にも棒にも引っかからず。。。。。。
その時、
「人を頼るのではなく、自分でなんとかしなければいけないんだな」
と思ったのが会社を作るそもそものきっかけです。
そして私は一念発起してサラーリマンを辞め、地方を活性化するための会社を作ることにしました。
早速地元熊本に戻り、農家を周り、辿り着いたのがこの生姜でした。
それから、生姜農家さんに足しげく通い、なんとかお取引出来るようになったんです。
私が得意なことは、生姜の魅力を伝えること。
GINGER FACTORYの生姜をたくさんの人に楽しんで頂くことで、生姜農家さんを守ろうと考えています。
ご多聞に漏れず、生姜農家さんでは高齢化が進み、跡取りもいない農家さんも目立ちます。
このままいけば、私の故郷の様な状態の町は年々増え続けますが、
GINGER FACTORYから地方の現状を少しでも良くしたいと思っています。
いや、人生かけて取り組みます。
お陰様で、テレビ新聞、雑誌などで取り上げられる様になりまして、
日本全国からこのお店めがけて来店して頂く機会も増えました。
あんまり開店していない、やる気のなさそうなお店ですが、
現在インターネットの注文を滞りなく発送することがメインになっておりまして、
なかなかお店を開けることができません。
大変ご迷惑おかけいたしますが、月・水・金は比較的開いております。
また、お電話でお問い合わせ頂く際にも「生姜が大好きです」や「生姜専門店を作った理由を読みました」など、
言って頂けるとスタッフの対応も変わります(笑)
こんな感じの生姜専門店ですが、今後とも宜しくお願い致します。
生姜専門店GINGER FACTORY
代表 古谷 公史郎